「県民だよりひょうご」23年2月号1面の知事からのメッセージにて、野生動物対策に言及がなされておりました。特に気になったのが、シカ肉の食材としての利用推進…いまだに行政からこういうメッセージが発せられる事が、非常に空虚に思われて仕方ない。
ですが、ハンターならだれでも知っている、野生獣肉利用の難しさというのは、狩猟を実践しない人には感覚的に分からないものなのでしょうね。何故シカ肉の食用が難しいか、行政主導では上手く行かないか。ひいては、現行の有害捕獲政策の何が問題であるか。もう何度も主張してきたつもりですが、改めて簡潔にまとめます。
1. シカの可食部は僅少である。
シカ肉は処理と調理によって、非常に美味な食材となるのですが、皆さんが好んで食べたがる部位は極少量に過ぎません。例えば、体重40kgのシカ肉から採れるロースですが、きれいに筋引きをし、精肉にできるのはそのうち1.2kg程度。モモ肉は3kg弱採れますが、まぁモモを欲しがる人はいませんね。2倍の価格差をつけても、モモよりロースが売れるのです。いわんや、バラや前足、スネは好まれないし、レバー等の内臓肉なんて余程の好事家しか欲しがらない。40kgのシカからせっかくの手間をかけて精々4kgの精肉を採って、残りは廃棄するのなら、最初から丸ごと埋葬や焼却処分して、解体の手間賃で牛肉を購入した方がよほど賢い。ただでさえ足りないハンターの人手を、シカの解体処理や、それに伴う運搬等の作業に回すくらいなら、シカの有効利用などしない方が人的資源の有効利用になるのです。
2. 狩猟と有害捕獲を混同してはいけない。
本来、狩猟は獲物の捕獲を目的として実施するものです。つまり、獲物の捕獲に伴う猟果の入手、肉の食用とか、骨、角、皮を工芸材料として入手するとかいうのが本来の目的であり、れっきとした経済活動であります。しかし、近現代では猟果の経済的価値が下がり、猟欲の充足を主目的としたゲーム・ハンティングが実施されています。これらの目的を達成する手段として狩猟を実施した結果、野生鳥獣生息数のコントロール等、自然環境への人為的介入が副次的に達成されております。
野生鳥獣被害の解消を主目的として捕獲活動を実施する場合は、有害捕獲、あるいは有害駆除という狩猟とは別の手段が採用されるべきです。効率的に数量過剰の鳥獣を排除するためには、極端なたとえ話をするならば、落とし穴でも毒ガスでも使えば良いのです。こういう過激な捕獲手段は、狩猟においては倫理的に、また、猟果の損傷という意味から認められないものですが、有害捕獲においては効率的排除が第一義であり、猟果の有効活用は二の次であります。下手に有効利用とか言い出すから、狩猟と有害捕獲が混同されて、効率的な有害鳥獣の排除の足かせになるのです。
3. 有効活用を推進するとしても、捕獲目標数が先行するのは順番が間違っている。
たくさんシカを獲りましょう→シカの死体が溢れます→シカを利用しましょう という発想自体は尤もなのですが、泥縄の感が否めない。
理想論ではありますが、有害捕獲を実施しなくとも、自由狩猟のみでシカの生息数がコントロールされれば…シカの数量増加→捕獲数量の拡大→市場におけるシカ肉の価格低下、流通増加→シカ肉料理の普及 という流れが、誰も旗を振らなくても達成されるのが、市場経済の原則です。
実際のところ、狩猟者人口の減少とか、野生シカ肉を食材として見た場合の価格・品質的な競争力の低さとか、いろいろな理由からそう上手くは行っていない。もちろん、心あるハンターで、上手いことシカ肉を食材供給している人もたくさんいるんですが、行政が期待するほどのボリュームではない。でも、ボリュームは小さいなりに、身近な自然の恵みを美味しくいただこう、という動きはあるのです。そこに、例えば○○町は去年、お祭りのバーべキューでシカ肉を5頭分食べてもらったから、今年は10頭分、何か料理を考えてくださいね。予算は県で持ちますよ、というのは、これまで地道に努力してきた人のモチベーションを削ぐことになりかねない。
シカが多すぎるから、シカを獲れと言われれば、ハンターの多くは協力を惜しまないでしょう。実際、今年度は昨年度までとは数段盛んにシカが捕獲されています。でも、シカを獲るだけでは、農林業被害や、それを原因とする第一次産業の衰退は止まりませんよ。