私はシカを獲りたくてハンターになりました。優美な姿、時速60キロ、垂直跳び3メートルに達する俊敏な脚、子供がバンザイしてるような、雲を刺す大角。肉は赤身でクセの無い上質な食材、丁寧になめした毛皮は肌を圧し返す弾力に溢れています。見て良し、撃って良し、食べて良し。こんな優れた猟獣が増えすぎて、捕獲を奨励されている兵庫県はまったく天国のような土地であります。
しかしながら、私は以前も申し上げたとおり、兵庫県が推進するシカの捕獲褒賞には参加せず、猟果の現金化はしないようにしております。
獲りたいシカを獲ってカネがもらえるなら良いだろう、と思われるかもしれませんが、ハンターの心理は複雑です。罠やノリ網にかかったシカに近寄ると、渾身の力で突進してくる雄鹿。あるいは、信頼する猟犬に見事に追い詰められたメスや子供のシカ。こういうのは遠慮会釈無く殺して、記念品なり肉なりにすることができます。
一方、積雪の山で吹き溜まりに追い詰められたシカ。有効射程ギリギリを雪の中を犬掻きで泳ぐようにもがきます。今、胴体の一番分厚いところを狙って引き金を絞れば…即死は無理でも、ケガだけでもさせれば、雪に残るであろう血痕を追って、捕獲は可能でしょう。ですが、抜ける血におびえながら冷たい雪の中を逃げ、力尽きて斃れるシカというのは、想像したくありませんし、ましてや自分がそれを作るのは御免です。
先々週の豊岡出猟の際、私は半矢を嫌い、頭狙を繰り返し、ようやく7発目で命中の即死を頂きました。結果論ではありますが、掠りもしない無傷と即死しか作らなかったことは一つの自信になりました。
ちょうど撃てる位置に、珍しく肥えた仔猪と親子連れのシカがいる。射程ギリで2の矢は期待できない。こういうとき、どちらを狙うか。
シカの報奨金にエントリーしていない自分なら、迷わずシシを撃ちます。あたるかどうかはともかく、心が痛まず、自分が欲しい獲物を素直に狙うことができるでしょう。ところが、シカに報奨金が付くとどうか。親なし子や逆縁の親を作る後悔を強いてシカを撃ち、食べて旨い猪を逃がすかもしれません。そういうちょっとした葛藤を、趣味の狩猟に持ち込みたくないのです。
われわれハンターは、年間何万の税金を納めて、さらに面倒くさい猟銃の所持許可や何やを経て、獲物をとる権利を得ています。私の美意識から言うと、そこに数千円の褒賞を持ち込まれて、心に迷いを生じさせたくない。
心に迷いが無いことは、一つの自由であります。そのために、経済的な利得を…この不景気に…捨てるというのは、一つの試練であります。