先日、シカ被害対策地の現地調査に行って、地元住民の方の話を聞く機会がありました。割とフランクな地域の方で、いろいろな意見を聞かせてくれたのですが、その中で私をハンターだと知らずに
「鉄砲撃ちや何いうても獲物には当たったり外したりで頼りにならん。山の中に入って大変だというが、大変な思いをして走り回っているのは猟犬で、鉄砲撃ちはタバコでもすって座っているだけじゃないか。有害捕獲だといって鉄砲撃ちが獲ってくる数なんて高が知れている」
とおっしゃった方がいらっしゃいました。
確かにその通り。ハンターといっても百発百中のわけはないし、獲物に翻弄されっぱなしなのです。しかし、ハンターに頼らず獣を殺すことが出来るのか、ということもあって、まあ毒エサや毒ガスで皆殺しにしたり、山ごと焼き払ったりという極めて乱暴な手段を考えれば不可能ではないのですが、平和にやろうとするならば農家のおっちゃんは自分が馬鹿にする鉄砲撃ちに頼らねばならんのです。
だいたい普通の人はこの日本の厳しい銃規制の中で猟銃を持つところまでもたどり着けないし、猟犬が頑張っていると言ってもその犬の世話をしているのはハンターなんだから、馬鹿にされる筋合いはありません。ですが、病的にハンターを嫌悪する人がいるのもまた間違いなく事実なのです。
まず、狩猟は金のかかる(ように見える)遊びです。狩猟専用に使われる四駆の乗用車からは数機分の無線アンテナが飛び出し、何頭もの大型犬を引きつれ、泥臭いナタではなくきれいに装飾されたナイフを腰に下げ、なんと言っても黒光りする猟銃。金持ちが嫌われるのは世の道理です。(実際のところゴルフや釣りと比べてそんなに出費が多いとも思いませんが、ゴルフや釣りと比べるという時点である程度余裕のある人の遊びとも言えるでしょう)。
赤裸々に言えば銃は男性器の象徴というかアレそのものであります。狩猟がそもそも本能的な、生死にかかわる行為だというのも関係があるかもしれません。女性を口説く事をガールハントと言ったりしますが、狩猟というのは実は皆がやってみたいけれど、何らかの理由でできない(と思い込んでいる)行為なのです。
高度経済成長期、1960年代に書かれた随筆には、自動車の運転ができない惨めさを語ったものがいくつもあります。大人の男(性差別的な意味ではなく、経済的に自立した社会人という意味)で運転ができるもの、できないものがほぼ半々に入り混じった状況ではそのコンプレックスはいかばかりだったでしょうか。
ハンターは車の運転ができて、無線機やナイフを扱えて、犬の使役ができて、もちろん銃を持っているのが当たり前です。その当たり前が意外とハードルが高いのかもしれません。