関連バナー広告

日誌
事務局日誌 >> 記事詳細

2010/08/27

殺生は誰の罪?

Tweet ThisSend to Facebook | by kanri
私の割と身近な親戚で、20年ほど前まで狩猟をたしなんでいた者がおりまして、自分が狩猟を始めるときに話を聞いてみようと思ったのですが、結局のところ
「殺生はやっぱりいかんよ」
というて狩猟は辞めてしまった、とのことでした。
 殺生はいかんというて、菜食主義者になるのならわかりますが、蚊取り線香炊いたり肉食ったりしてるなら世話はありません。
 
 肉食、魚食はもちろん殺生を伴っていますが、生活必需品の石油だって血なまぐさいもので、
原油利権をめぐってどれだけの戦争が起こったか、何人の人間が死んだか。
そんな余所の国のことは知らない、気にしないというのはタダのカマトトでしょう。
ハンターは殺すのが好きなんじゃなくて、人任せにしないで自分で背負いこんでいるだけです。
 
 キリスト教の伝承と言うんですかね、「さまよえるユダヤ人」というお話があります。
あるユダヤ人がゴルゴダの丘に向かうキリストに侮蔑の言葉を吐いたために呪いをかけられ、死ぬことができなくなって永遠に世界をさまよい続ける、という話です。
 芥川龍之介はこの伝承について「さまよえる猶太人」という随筆で興味深い考察を加えております。なぜキリストに侮蔑の言葉を吐いた大勢の人々のうち、そのユダヤ人だけに呪いが掛かったのか。
ごく大雑把にいえば、彼は「罪を罪と知ったから」良心の呵責にさいなまれたのである。
キリストに侮蔑の言葉を吐いた多くの人々は、それを罪と気づかないために呪われることもなかったのだ、という解釈です。
 
 ハンターと一般の消費者の関係も同じです。
結局皆、生き物の、時には人間の死の上に自分の生活を成り立たせているのですが、その犠牲を実感として気づくかどうか。
 
 殺生はいかんと言ってハンターを辞めてしまった彼が本当に言いたかったことは「殺生はいかん」のではなくて
「自分で手を下して命を奪うストレスに耐えられない」
ということなんでしょうね。  

07:07 | 投票する | 投票数(0) | コメント(0)